芸術とは自慰的なもの
きのうはドラムをたたきました。はじめてひとりでスタジオに行きました。タバコのにおいと蒸しかえるような暑さ、あとけだるげな店員さんと、生きる時代をまちがえたのではと思ってしまうパンクでチープな先客の面々。目に映るすべてが異質で、そして新鮮だった。
昨日まではどこまでもいけるんじゃないだろうかと自信すら持っていたドラムを叩いてみた。基礎的な練習がしたくなり、すぐ曲の譜面を負いたくなる。その葛藤に嫌気がさしてすぐバカバカしくなる。この繰り返し。失われた力、というよりはああわたしが現役のころもこの葛藤になやまされていたなと思い出す苦々しいなつかしさの方が勝ち。また一曲に自信をもてるようになるのはいつだろうか。
タイトルですが、わたしはすぐに「これは自慰的な欲求」ということばをあたまのなかだけで使う、というはなしがしたかったのです。あんまり下ネタすきじゃないけど、これは想像通りそういう類の皮肉。わたしにとって芸術への欲求は性欲みたいにフッと沸いてきて、じっとしていたらおさまることもあるし、じっとしていられないほど衝動的な瞬間もある。けどほんとうは中身なんてひとつもなくて、すべてすぎさってみたらアア、バカバカしいな、なにやっているんだろう。と我に返らせてしまう毒性を持つ。これがやっかいなのは、またその衝動がたびたびに起こってくるということなのです。懲りない自分がバカバカしくて、ときどき涙が出そうになるんだ。
これは正論なのかそうでないのか、わかっているようでわかっていないところがあるのだけど、何もしない、移り気が激しいわたしは、いつも自分の「やりたい衝動」をどこか冷めた目で見てしまいます。過去にやりたかったことなんて数え切れないほどあるからね。
だから、今はデザインを学びたいな、とか音楽でお金をもらえるようになりたいな、とか、アレコレしたいことがたくさん浮かんでいるけど、すべてその冷めた目によって制御されています。この制御は正しい道へとすすめてくれるクスリのような力がある反面、やりたいことの邪魔をする悪魔のような一面も持っている。そうして双方の葛藤をしているうちにわたしはなにがしたいんだろうとわからなくなる。さらにこうしてわからなくなっているあいだにいろんなことが手遅れになってしまうことにのちのち気づいてしまう。これが最大の悩みとなってゆく。ウーン。
自慰的なもの、というのは「生産性のない」「自己満足な」という意味を当てているのだけど、そこからなにかが抜けてくるのはいつになるのだろう。というかそこまでがんばれる瞬間はいつになったら訪れるのだろうな
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