坂井くん

1.坂井くんが学校に来ない。

 わたしたちは進学校に通っている。だれよりも賢くって、成績優秀な坂井くん。わたしも勉強が好きでコツコツ勉強しているけれど、彼にはいつだって追いつけない。とにかく自慢の彼氏だった。すごくかっこいいひとで、けどちょっとのんびりしていてちょっとずれているような、かわいくてかっこいいような人だった。彼にわたしはずっとあこがれていて、とつぜん「付き合って」って言われた。いっつもビクビクしてしまう。そんな彼が学校に来ない。風邪をこじらせたっていうけど、なんかおかしい。ずっとやすんでいるし、いつもは来るはずの連絡もこない。

2.毎週のデート

 わたしたちは毎週デートと毎日のメールとおやすみ電話でつないでいる。高校生なのに、同じクラスなのに一週間しか合わなくていいの?ってよくきかれるけど、おたがいの世界があるわたしたちだから、これぐらいがちょうどいいと思うし、おたがい詮索や喧嘩をしたことがない。きっとデートにも「ひとそれぞれ」があるんだと思う。毎週土曜日のデートでの坂井くんはちょっとつよくなる。いつもはニコニコとしているだけだけど、いつもいろんなことを教えてくれるし、手もつなぐし、ハグやキスもする。デートのとき、いつもわたしは坂井くんにドキドキしてしまってなんにも言えない。学校のプリントをわたした。坂井くんは「ありがとうね」それだけ言って帰ってしまった。モヤモヤとする。どうして坂井くんは学校をやすんだんだろう。モヤモヤとして学校のサトリ先生に相談する。「きっと男の事情があるんだよ」なんだそれ。つぎこそぜったいに聞いてやるぞ

3、おれ、ミュージシャンになる

 つぎのデートでもわたしはじっとニコニコしてしまった。映画を見た。スッキリ泣ける映画だった。「泣き顔っていいねえ」なんて冗談をいいながら、坂井くんはニコニコしている。ぎゅっと手をつなぐ。「かわいくってつい」ってふいにキスもされて、すごくドキドキするけど、今日のわたしはそれどころじゃなかった。ときどき「どうしたの?」って聞かれるけど、なんにも言えずにいた。帰り道がきてしまって、わたしは坂井くんの腕をひっつかんで、「このあいだ、どうしたの。最近なんか変じゃない?」と聞いたんだ。そしたら坂井くんはフッと笑って、そしてスッと目を強めていった「俺、こっそりベースやってて、ミュージシャンになるんだ。」わたしはえ?と思った。わたしはヘラッと「受験生じゃん、なにしてんの」って言った。いけないことを言ってしまったらしい。坂井くんはいつものヘラヘラを隠して、真面目な、すこし泣きそうな顔をして「やっぱりナツもそういうんだね」って言った。ナツはぐるぐる考えた。

4.学校での噂とナツの考え

 坂井くんがミュージシャンになる、そしてそのバンドは有名になりつつあるという話はもう身近な噂になって広まっていて、わたしはたくさんの人に問い詰められた。わたしは昨日しったのに。みんなより知らないこと、それがショックだった。みんなは必死に勉強しているのに、坂井くんは熱病に浮かされているのだろうか。サトリ先生に相談する、「あー。坂井もとうとうか」なんて意味深なことを言う。「男の意志は固いんだぜ」「男ってなんだよ」「ハハ」といって先生は去っていく。そういえば、あれからわたしたちはメールも電話もしていない。あの日の坂井くんの目を思い出す。わたしたち、理解している、おたがいを知っているようでなんにも知らなかったんだなあ。

5.バンドメンバーに会う

 今日のデートでバンドのメンバーに合わせてもらえるらしい。スタジオに行くと無精髭なドラムのおじさんと、アホ丸出しのギターがいた。彼は音楽の専門学校に通っているらしい。遅れてイロケムンムンのボーカルが来る。彼は何をしているか全くわからないけど、それくらいがちょうどいいらしい。坂井くんはちょっと浮いていた。いや、それぞれがそれぞれで浮かせ合っていた。女子高生の登場に喜ぶ彼ら。連絡先を交換してキャッキャキャッキャしている、坂井くんはニコニコしている。わたしは少し引いた眼で見ている。「なっちゃんに捧げるうただよ」俺が書いたけどさ、曲は坂井くんが作ったから聞いてね、ってチャーミングな掛け声でセッションが始まる。スッと引き込まれた。厚みのある切ない音楽、苦しんでいるようで楽しんでいるようなボーカルの甘い声、技巧的なギターにどこかオトナの余裕があるドラム、坂井くんのベース姿、やっぱりかっこいい。セッションしているときも真面目に話していた、ニコニコにもどっていたけど、わたしの知らない世界がそこにあった。図書室にいる坂井くんと比べる、なんだか別人のようで、苦しかった。休憩中、坂井くんは頬を上記させながら私にミルクティーを差し出して、 「大学ってさ研究するじゃない、俺はさ、なにしよっかなって思ったときに、なにを研究したいのかなって考えたんだ、それで見つけたのがベースだった。モヤモヤした気持ちのはけぐちが作曲だったんだ」 といった。「ナツはなにになりたいの」わたしはあいかわらず何も言えなかった。坂井くんはご機嫌をとりたいときにわたしにミルクティーを差し出す。そうしてわたしを甘やかしながら坂井くんが知らないひとになってゆく、わたしは置いてけぼりだ。悲しくなった。涙が出そうになって、わたしはそっと抜け出してひとりで帰った。

6.ボーカルに呼び出される。

 坂井くんとは連絡がとれないまま、わたしは相変わらず勉強に励んでいた。友達はえらいねえって蔑んだ目で見てくるけど、わたしの中でのライバルは坂井くんだったから、思いをかき消すかのように必死に勉強した。帰り道にメールが来ている。ボーカルの人からだ。「今日会えない?」坂井くんのことが知れるかもしれない。いっそどうしてあんたたちのせいだって言ってやりたいから、応じることにした。いざ立ていくさびとよ。ボーカルの人はストローでアイスコーヒーを飲んでいた。指先がエロい。坂井くんは去年からときどきライブに来ていて、昔やっていたヘビメタの曲でいつもニコニコした笑顔で泣いていたらしい。地獄の歌を歌っていたから泣いているやつなんていなくて、つい声を掛けてしまったという。何やっているのかわからないんだという坂井君にそっとベースを渡した。吸収して説明するのが上手だからみるみるうちに上手になって、自然と曲を作っていたという。「きみは勉強が好きなんでしょ、夢中で勉強している君がまぶしかったって、ずっと言っていたよ」「あの日、傷つけたことを悔やんでて、泣き虫だからな、ってあのニコニコした顔でさ」「大事なライブが近いから、練習詰めてるんだけど、あれから曲もできなくて坂井ずっと放心状態だわ」ちょっぴりなさけないのが坂井くんらしいなと思った。会う?って言われたけど、きっとまたなんにも言えなくなるんだなと思ってやめた。土曜日が近づいていた。

7.デート

夏休みも折り返しだという土曜日、わたしは坂井くんと変わらずにデートをした。なんだかぎこちなかった。さいきんした本の話をしながらごはんを食べた。坂井くんは宇宙の本や植物の本を読む。わたしは古典やいろんな物語を読む。坂井くんは相変わらず本が好きみたいで安心した。いつものコースで映画を見ようとしたときにわたしがすっころんでひざを擦りむいた。わたしはぽろぽろと泣いた。「予定変更」いつもの坂井君とはちょっとちがう真面目な顔でわたしを抱えてタクシーに乗り込んだ。わたしをベッドに座らせてやさしく手当をしてくれる坂井くん。沈黙の時間。「終わった」と言って隣に座って「ナツ」とじっとわたしを見る坂井くん。はずかしくなってうつむいて、ごめんねって言った。いろんなことに対してのごめんねだったけど、「予定狂わせて」ってつけたしてしまった。坂井くんはぜんぶわかったような顔でぎゅっとおでことおでこをくっつけてそのままキスをした。オトナのキスだった。首や耳にもキスをしてた坂井くん。わたしが吐息を漏らすとハッとした坂井くんは「ごめん」といってそのままぎゅっと抱きしめた。なんかうまくいかないね、とふたりで連れ添ってねむった。このままいろんなこと投げ出して溶けてしまったらいいのにな。そしたらことばなんていらないのかな、なんて思った。

8.ぽろぽろ

 サトリ先生にわからないこと教えてもらいたくって職員室にいったら「図書室で待ってて」というので、図書室にいたら「憧れなんです」と言って背後から抱きしめる男が現れた。きもちわるくて、「さかいくん」って言葉が出てきた。サトリ先生が助けてくれて、「坂井じゃなくて悪かったな」といいながら頭を撫でてくれた。言葉がポロポロとあふれてきた。わたしは坂井くんが好きで、笑ってほしくって、好きなことを追いかける坂井くんが好きになり始めていて、それでも変わらない坂井くんはもっと好きで、つらいことも苦しいことも、ぜんぶ言いたいのは坂井くんだった。こんなに好きだったんだ、と思った。電話しようと思ったけど、なんていえばいいのかわからなかった。落ち着いたら今日は帰れと言われてとぼとぼ歩いている帰り道、「気持ちのはけ口が作曲だったんだ」「曲が作れなくて」って言葉がめぐってきた。スッと作詞を思いついて、ボーカルの人に「まだ曲、まにあいますか」と伝えて歌詞を書いた。思い出の本や一緒に見た映画なんかを思い出して、せいいっぱいに詰め込んだ。夜な夜な「締め切りは明日」とハートマークがついた返信がきてむかついたので、「坂井くんにはヒミツにしてくださいね」とメールに添付して送ってやった。こういうことだったんだなあ、と思った。なんだかスッキリした。

9.ライブにきてほしい

 明日はライブだから、夜に会うことになった。遠くで花火をやっている。わたしたちは人込みのあるところにはあまり行かないたちなので、こっそり見ているのがわたしたちらしいなと思った。「最近どう」と聞かれた。あのね、と息をすって「わたしは勉強が好き、その先はわからないけど、昔のこととか、他の国のこととか、いろんな世界を知りたいし、勉強がすき」と伝えた。「そっか」といった。「夏が終わったら、このさきどうなるかはわからないけど、受験はしようと思う。」「はじめは中途半端だからどっちかにしたいって思ってたんだけど、どっちもうまくいかなくなってもきっと後悔はしないと思う。どっちも好きなことだからさ、」と言って坂井くんは照れ臭そうに手すりに顔をうずめていた。かわいいなとおもって髪をくしゃくしゃにした。されるがままの坂井くん「だからさ、明日のライブに来てほしいんだ」「本気だってこと、ナツにはわかってほしいんだ」花火は終わって空にはきれいな星がキラキラと輝いてた。世界にわたしたちだけがいるようだった。

10.ライブ

 はじめてライブに来た。坂井くんの出番はトリで、Tシャツを買ってワクワクしているファンのひとがたくさん来ていた。ボーカルが人気らしい。けどそれぞれにファンがいて、わたしはちょっと嫉妬したような、誇らしいきもちになった。いろんなバンドにもみくちゃにされた。とうとうバンドの出番になった。輝くみんなの顔。一番にはじめに聞いた曲が流れる。坂井くんの汗、恥ずかしくなって隠れるように見ていたから視線が合うなんてことはなかった。最後の曲、「新曲をやります。ありがとうの気持ちをこめて」とスッと空気が変わる。重厚なベースにオトナなドラム、ギャップのある技巧的なギターに色気のある声、引き込まれる空気感。それに私の詞がのっかった。一番目の歌詞、あこがれていた彼が目の前にいるうれしさと、好きって言えないわたしのきもちを描いた。二番目の歌詞には気づかなかった相手の気持ちを描いた。曲を書いているうちに伝わらないかなって思った。好きだなって思った。二番のサビが終わったら、繰り返して終わるはずなのに、ギターソロがはじまった。えっと思って顔をあげたら、ボーカルの人がすっと笑って息を吸う、そして歌いだした。「揺れる思い、溢れる激情、ずっと孤独に溺れていた、知らないふりをしたきみがそれをつつんでくれたんだ、夏が一番好きな季節になった」「ありがとうすらも言えないボクだけど、これからもずっとそばにいてくれたら」ニコニコしながら泣きそうな顔をしている坂井くん。わたしは涙が止まらなかった。

 帰りみち、走ってくる坂井くん。走り方が気持ち悪いのが坂井くんらしいなって思った、ぜーぜーといいながら「ずるいよ」「なんでだよ」といいながら。わたしはきゅうに誇らしくなる、見上げた坂井くんがため息をついてわたしをぎゅっと抱きしめる。何にもいわないぐらいがちょうどいいなと思った。

Togy magy

未来を夢見てあしたを迷走する都木マキのブログ。ひらがなとサブカルチャーが好きです。

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