インスピレーション

秘密結社

秘密結社とは、結社の存在そのものが構成員により秘匿される、又は、結社の存在は公になっていても、その構成員であることが、組織や構成員自身の許諾によらないで、第三者等により公開されることが禁じられている組織

政治的秘密結社と宗教的秘密結社に大別されるが、両方の要素を持つ場合もあるし、数は少ないが、どちらにも属さないものもあり、単なる親睦団体である結社も存在する。

過眠症ただただ眠る。意味もなく、無意識の中で、ステキな夢でも見ているのか、それともいやな世界にうなされているのか。

水の中にいる浮きたい 息苦しい 陸を夢見る 美しいと思うの 声を失い 足もつけず ただあてもなくさまようのだ 魚にはなれない くぐもった世界

老廃物わたしのなかのうねうねとしあもの 濁っている にゅるりと出して スカッとしたい この手で 取りだすの

哲学はわたしを雄弁にさせます。自分の中身のない空虚な本心を、裏付けてくれるからです。文学はわたしを素直にさせます。自分だけの心の闇を「ひとりじゃないよ」を諭してくれるからです。科学はわたしを、芸術はわたしを、

ファン何かに傾倒する人間のはなし。人間には、美少年を愛する文化があります。母の代わりに美少年のような人を愛するのです。それは恋愛感情とはかけ離れたところで、なりたい願望ともまたかけ離れたところで。取られたと感じるのは「母を奪われた」気持ちにちかいからなのです。「けがれているはずがない」という純潔な信仰心は、時に人を狂わせるのでありました。

ファンというものは恐ろしいものですね、何かに傾倒するというのは恐ろしいものですね、そうして消費してゆく人間たちは、自分の無知を知らないのです。死や悲惨をいやすすべをしらないわたしたちは、なにが正しくなにが愛されるのか知らないわたしたちはその未知の不安物を見ないふりをするかのように、無知をきわめてゆくのでありました。

「信仰」がある人は人間として成立していると思う。その信仰とは、宗教や政治だけでなく、スポーツや趣味、学問のことも指している。なにか夢中になるものがあって、「感情の行き場」が定まっている人は幸せなんだろうなと思う。勇気を出して意志を伝える人は幸せだろうなと思う。わたしはそのきもちがまったくわかりませんでした。

人間失格を読みました。おそらく中学のわたしがこの小説を読んだら、「ああなんて自分のことを言い当てた手記なのだろう」と思っていただろう。現にいろんな人が自分が彼に似ているといっているのである。じぶんで思う「生き写し」だなんて、きっと嘘っぱちだ。

道化は人間とはなれたところではなく、きっと人間のそばにあるのだと思う。けど、ほんとうに「太宰治の生き写しなのではないか」と思うひとに心当たりがある。わたしはほんとうの孤独に飲まれているひとを知っている。地面の下で芽が出ずに、ずっともがき苦しむひとを知っている。

はじめは「まるで自分のようだ」と思っていたけれど、しだいに「あああのひとに似ている」と思うようになっていた。冬が好きで夏が嫌いな、やさしくてさみしくてそれでいて冷えきった目をしたあのひとに、道化の仮面の下に人間不信の皮をまとって、そのなかにある愛されたい欲望を必死に隠そうとしているあのひとに、太宰治の手記が似ていた。

ときどきふさぎ込んで その先には きっとステキなうたがある 悩んだ人は美しい

今は後ろめたくてさ そのうちちゃんと笑ってただいまって言うから どうかそのときまでお元気で

大人の風邪は長引くな こうして生活が

おにぎりの具になりたい 笑顔をみたい ああ生きていてよかったと思うのです 鼻歌がきこえる

昔よりも苦しそうだった どうしようもなくなる 手を伸ばしてひっこめる 私はそばにいてはいけないんだ

ひとりよがりのメッセージをこれみよがしにみせつけやがって

フレーズ苦しくても苦しいままで 大真面目に言う 僕の愛の方がステキなのに 乞食のように幸せを 笑いあっているとき 様々な感情と対峙する あなたの涙を食べたい わたしは一度死ぬのです 見知らぬ土地へとゆくのです またやっちゃった クシャクシャにしてほおばる 何故だか息が苦しいの がっかりさせないでよ クスっと笑って 三つ数えてキスをするのよ そしたら笑ってくれる? かなわないなってはにかんでみせて はばたく貴方が見たかった 分身だと思っていたのに ときどきふさぎこむ 知らないことがたくさんあるな 行ったきり来たり 本物とニセモノ きれいごとも言うよ そのまま重なり合って 溶けて 先の見えない苦しみ 未来が見えない 目じりをなぞる 誰かな 美しくはなれぬ かわいくなどなれぬ それだけでいいんです いじけたくないの 泣かない 泣くな 小さなこの世におさまらぬ ひみつの場所 悲しみをまるめて捨てる 切りたての前髪 春の風 束の間の 止まり木 夏の花が好き 言葉だけでもよくして見せよう その人たちだけのリズム チョコレートひとつ 

後悔してもおそいんだよとなりに座ってるときにぎゅってされたい。シャワー上がりの髪をひとたばとって「髪伸びたね」って言いたい。腕枕されてるときにおちつくなあって言いたい。あえなくて寂しかったよって言いたい。手の大きさくらべてぎゅってしたい。肩凝ってるって言ったらスッて手を出してマッサージする。ねむくてうとうとしたら肩によりかかりたかった。「ひざ空いてますよ」ってひざぽんぽんすればよかった。ごはん出してくれたときももっとおいしいって言いたかった。「美少女って言うのいや?」って言われたら「いやじゃなかったけどかなしかったよ」って言いたかった。「すきなひといつできるのかな」って言われたとき「もういるかもだよ?」って言ってみればよかった。

甘え上手女子大に入っておもうこと。それはみんなヒトに甘えるのが上手だなあってことです。「これやって」じゃなくて「こうがんばりたい」と伝えることがたいせつなんだなあと思うときがよくあります。じぶんを理解してもらうことがたいせつなんだろうな、応援してくださいっていう姿勢と自信がたいせつなんだろうな わたしがアピールできるじぶんらしさってなんだろうなあ

キャンセルをキャンセルあなたいつか後悔するよということを繰り返してしまいます。じぶんを変えたコトバも、前向きだったころの自分のきもちも、沈んだときにはスッと消えてしまうのです。こうしないとなあ~というアイデアはぽんぽんと頭に浮かんできます。メモもします。そこまでして具体的なスケジュールを立てるのにひとくろう。そしてそれをきちんと実行するまでにもう一苦労。強く生きるのってなかなか難しいです

終わらないトゥナイト帰りみち、月を見上げながらふっと溜息じぶんが変わればいいのに、なにをすればいいのかわかっているのにうごきだせなくて、わたしが踏み出せばちゃんと受け入れてくれるとわかっているのになかなか踏み出せず、自ら作り出した孤独にひとり嘆いている。わかってほしいじゃだれも助けてくれるはずがないのにね、こうしてほしいとおもってるだけではなにもかわらないのにね

やさしくされて切ながるのはおかしなはなしです /あなたの本音を知る権利、知る覚悟 劣等感がとけとげして、いつかあなたを刺してしまう つよいひと向けのよわさ#とは 類義語だけをありったけあつめて、あとはなんにもかわらない おろかなままであなたをおもうだけしかできないけど すくないキスをすりきれるまで あなたがやさしくて、なんにも悲しいことなんかないはずなのに

お行儀よくさようならお行儀よくさよならを告げて、わたしは一人孤独に還る。泣きたいきもちはぐっとこらえて、いえないきもちは卵とじ。明日、また明日がんばろうと自分に言い聞かせていたら、いつのまにか心の闇はちいさくなって、わたしの中で思い出に変わる。ってことを繰り返していたらつまらないニンゲンになってしまいました。

思いきってひととちがうことをしてみても、肩書きやしがらみからはなれてみても、ともだちはいなくならないし、わたしはすこしつよくなるだけでまるっきり変わってしまうことはないみたい。じぶんなりのバネを持つものはつよくなれるのだろうか。

いつも頭のなかで色んなことばが散らばっていて、拾うことに一生懸命になっているうちに、なにかを見落としてしまう。そんな毎日の繰り返し。繰り返しても懲りず、何度も何度も見落としてしまう。

わたしはずっと悩んでいました。ずっと困っていました。昔からずっと。

かゆいところを書きむしって、いつか手がとどけばいいなと思う。

今年の目標は「読み学び伝える」です。文字やできごとを呼吸のようにすいこんではきだせたらと思います。目指せ知的なレディ。ことしもよろしくおねがいします。

届かない文を書いては消し書いてはくしゃくしゃに丸めててしまうような思いがほしい。知らぬ間につらいおもいをしてると気づくと胸が痛くて苦しくなるような恋をしたい。けど、まいにちに人間はいらない

大掃除をしようとおもって、まずはキッチンのごみだしにとりかかる。せっせとはたらけば出勤前の10分でおわった。まだまだ部屋でのタスクが山積していると言うのに、わたしはいまなにをしているんだろう?

ひととちがうと気づいたのはいつだったっけな。ひとがうわあ…と思う行動が平気でできて、ひとがえっ?とおもう言葉がぽっとでてきて、ひとがワア!とおもうひらめきもたまあに出てくる。どこにはまればいいのだろうと考えながら生きている。

居場所なんていらないくらい、じぶんのモチモノがほしいな ピタッとこなくてもいいから

ひっかきすぎると肌を傷つけるように、しゃべりすぎると心を傷つける

凝り固まっていたしがらみとこだわりに、さよならを告げた。どうか、たがいのやさしさだけは わすれないでいて、しあわせをねがうことも、わすれないでいて。

「さよなら渓谷」はじめて 大西信満 という俳優さんを知る。その先に待つのが不幸や憎しみであっても、彼は彼女にとっていちばんのひとであったのだとおもう。言葉少なにすすむふたりの愛と、大森さんのけだるいようなもどかしいような雰囲気が印象的。しあわせになりたいねえ。

よわいけどつよくて、つよいけどよわい。ひとの体温をもとめるとあったかくて、けどどこかさみしい。 生きるのが苦しくて今すぐどこかに消えてしまいたい、けどわたしは今日を生きている。 心の傷はじぶんでつくりだすものであり、また心の支えも自らつくりだしてしまうものである。 もうなにもしない、なにも考えないように生きてみても、しらぬまにつくりだしてしまうものなのである。 からっぽを埋めたいにんげんのおはなし。

いいものを着て、いいものを食べて、いいものをつくって、いい本を読んで、いいゆめをみて、いいひととくらす。それだけでよい。それだけがよい。

今までずっとずっと悩んでいたことが嘘のように抜けてしまって、なんだか人生をひとりじめしたような気持ちです。

さみしいときやねたましいときは自分がダメなとき。あしたをゆめみておやすみなさい。

『運の悪い男』宇宙のあいさつ 彼は野心的で、同情心があり、良心的で、正義感にも富んでいた。ひとつならまだしも、こう美点がそろうと、ろくなことはない。

あたらしい事業に手を出して失敗し、また、よせばいいのに友人の保証人になり、よけいな責任をしょいこんだ。また、そのくせ、借金を踏み倒す知恵の持ち合わせはない。いまや、なにもかも行き詰ってしまった。彼はそれを、運の悪いせいだと思っていた。

Twitterをやめたらメモをたくさんとるようになった。休憩時間にねむれるようになった。ゲームがぐんぐんすすむようになった。お気に入りのブログができた。雑誌を読めるようになった。ひとりだってデートしたって自由になった。弱音をはけなくなった。きになるあのこのイマを知れなくなった。きもちをひとりじめできるようになった。

晴れの日しか見えない空は見せ物だ。傷も、言葉も、思い出も、ぜんぶ溶け合ってひとつになればいいのに。わたしが顔を上げるときみはふにゃりと顔を歪める。それは笑いたいような、泣きたいようなものだった。

すきとわたし本当の恋に出会ったとき、わたしはじぶんを殺してしまうのだと思う。ほんとうのさみしさに出会ったとき、わたしはじぶんをつくりかえるのだとおもう。ほんとうの愛に出会ったとき、わたしはじぶんをみつけるのだとおもう。

歩き出せそう ただ好きだった 大人になって 気が付いた

わたしは挫折をしたことがなかった。「なんとかなる」「素質がある」だけでいきてきた。

わたしは努力もしたことがなかった。すこし頑張ると「ひととはずれてしまう」ことがこわかったからだ。わたしは小さい頃、「みんなとおなじ」になるためだけに努力してきた。もともとズボラなこともあり、ぜんぶそのせいだとはいえないが、わからないことを苦しみながら勉強したこともないし、努力をしても成長できないひとのきもちがわからなかった。

それは自分に才能があるからだと思っていた。人よりも要領がよいからだと思っていた。それは違うと気づいたころ、わたしはもう18歳になっていた。

18歳までの間に失ったものは大きかった。幼少から習ってきたピアノや、昔から褒められていた絵の才能は、もう同年代と張り合うにも値しない腕しかなかった。努力を全くしていなかったからだ。小学校のころは誰よりも頭が良かったのに、今評価に値する偏差値や知識は全くないといっても過言ではないだろう。唯一努力してきた打楽器の技術は、大学生活でズタボロになったままだった。

20歳、私はなにかひとつだけでもとりもどそうと必死になって迷走をしている。なにがしたいのか、自分になにができるのかすらわかっていないのにもかかわらず。ただ失った時間を取り戻すかのように。この迷走も何かを犠牲にしてしまっているのだろうか。後悔はもうしたくないんだよ

ないものねだりわたしがあこがれとして好きになるひとはいつもなにかを追いかけている。アイドルは自分の夢をみてがむしゃらに突き進み、時には涙し時には無邪気に笑う。好きなアーティストもたくさんいるが、みなそれぞれの世界観をもち、その維持と発展に全力を注いでいる。わたしはそんなキラキラと前に向かって進んでいるひとが好きだ。

自分はどうだろう。わたしはなにを目標にして、いまなにをしているのだろう。がむしゃらに働いても夢を追いかけてもそれは正解のみちではなく、すべてが迷走のひとつなのだ。わたしのなかの正解とはなんなんだろう。さいきんはそればかりかんがえてすごしている。

さいきんはその悩みがふくらみにふくらんで、ひとと会いたくないところまできてしまっている。身近なひとたちが正解のみちにすすんでいるところを見たくない。けれど社会から隔絶する勇気もない。成長というなみに遅れたくないし、遅れたらどうなってしまうのかとても不安だ。仕事もつらいけど、所属がなくなるのももっとつらいんだろうな。こうして不安定になっていることも、目指すべき人間ど真逆なんだろうな、もどかしいな。

職場に来てくれた高校の親友に差し入れをもらった。はなればなれでも気にかけてくれたり会いに来てくれたり、ほんとうにうれしい。 そんな彼女の友情が長く続くものだと気付いたのは高校卒業して半年以上経ってからのことだった。それまでは一緒にいてあたりまえ、喧嘩もするしお互いをバカにもするしはなればなれになることもへっちゃらだと思っていた。まさか自分なんかにこんなに良い関係が作れるなんて思ってもいなかった。案外友情というのは希薄であっけなくて、知らずのうちにできているものなのかもしれない。今のつながりの中で、時を経ても変わらない関係はどれだけあるのだろうか。

マクドナルドのレタスに思いをはせてみる。100項目以上の要求項目でまもられているレタス。土と水に支えられていつもおなじ温度で育ってきたレタス。将来の夢はおいしいハンバーガーなレタス。ごちそうさまでした。

ひとつひとつそのときどきに大切にしたいなって感じたことたち。けれどどちらかを尊重しようとするともう一方がおろそかになって、うまくバランスがとれなくなってしまう。うまく生きれない。

♫ すっと彼は落ちていく 「泣いていたいよ」ってつぶやいた あーなんだか似てるな 君と僕、弱虫だから 悲しいことやくやしいことは いつでも強く染まってしまうけれど 優しいメロディー その小さな願い 気づけるような勇気を

フランネル/南壽あさ子優しくいることが間違っていても、こうしていたいの。もう戻れない ただ美しいだけの浅はかな秋の日 ひとしきり泣いた後で答えは出ないと言う。それでもあなたがぽつりと口にしたコトバは、わずかに染まって白く残った。ふたりになればそう、ゆるやかにつながっていく 窓辺に浮かぶ灯の中に 暖かいあなたと まどろむわたしがいればいい ことば 違っていても、きっとそこから

Togy magy

未来を夢見てあしたを迷走する都木マキのブログ。ひらがなとサブカルチャーが好きです。

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