過去のメモ

面接

今日は待ちに待っていた出版社の面接だった。約束は13:00。面接をすっとばしてはたらいたときの自分を想像して眠る。午前9:00、三度寝ののち起床。さいきんはいろいろと安定したくらしをしているので朝のはじまりは比較的はやめ。えらいぞ自分と思いながら優雅な時間をすごす。最近はアトピーがひどいので、十分な保湿をして準備をせずにいた。

そして気づいたら午後12:00。面接一時間前だと気づいてハッとする。自己PRを書くのを忘れていた。ようやくことの重大さに気づく。朝ごはんをつくってたべる余裕もあったのにどうしてわたしは遅刻しそうになっているのだろう。最近は慣れもあってかヘアアイロンをあたためるなどをしながらものの15分で履歴書を書き上げる。スーツを着てみると日ごろ食べずにくらしていたおかげかウエストにゆとりがあってイイ気分になる。そのままシュンシュンと準備して30分前には準備がおわる。はみがきをしてよし出ようとすると職務経歴書がないことに気づく。タクシーで行くことにして電話を入れながら印刷をする。PCやワイファイの設定がおかしくてすこし手間取る。こうしてタクシーにのったのが46分。まずい。けど10分ならイケるかもしれないと思う。タクシーのおじさんに急いでいることを伝える。急いでくれるものの信号が思うようにすすまずに遅れてしまう。事前の電話をすることにしり込みする。人前で電話をするという簡単な作業がわたしはどうしてもできないのだった。最後まであきらめないと思わずにきちんと電話を入れておけばよかった。結局事後報告もせず、催促の電話もなく、そことのご縁はなかったことにしてしまった。ストラテラを飲み始めてはじめての遅刻だった。自己肯定間がグッと下がる。放心状態でスタバに向かい、反省文を書いた。贖罪をかねてハローワークをチェックして一冊の小説を読み切る。つよく生きるぞ。

「生きてるだけで、愛」

なんで泣いているのか自分でも理解できない。まさか二十五歳にもなって。涙が次から次へとあふれてきて止めることができなくて、さすがにもういいだろうと思うのにいくらでもたれ流れて顎を伝って下へ落ちて、頭の中の何かがぶっ壊れてしまったみたいに涙は出続ける。

誰かに「見抜いているぞ」と言われている気がする。「お前がみんなと同じふりをしてまぎれていることはわかってるぞ」と警告されているんじゃないかと錯覚することがある。地面を踏んでいるはずなのに足元にはなにもなくて、そもそもあたしの周りには触れるようなものが一切なくて、自分は何にもつながっていないんじゃないかと甘っちょろい妄想で押しつぶされそうになるのだ。社会に出ようとするあたしの目を定期的に覚まさせていく。

働く気になれないなんて、ヨユウがあんのよ、あんたね、なめてんのよ。景のことも私のことも。どうせこれもあとで誰かに笑いながら話すんでしょ?」

完全なひとりになったとき、わたしは孤独だ、というよりは自由を手に入れたと思った。友達なんてすぐつくれるものだとわかっていたし、自分の近況を心配してくれるひとはどこにでもいると思ったからだ。また、自分を心から理解して支えてくれるひとなどいないというのも、わかっていたからだった。

綿のパンツというのは非常に書きごこちが良いものである。色気のかけらもないのは重々承知なので、ひとりのときに綿のパンツをはく。ブラジャーをはずし、綿のパンツをはくのがわたしの帰宅後の日課である。非常に解放感と安心感を覚える。

三年ぶりにあまりたべない暮らしをしている。断食はきびしいが、西院はコンビニに行っても食欲らしい食欲がわいてこない。このあとさみしくなると爆発するのはよくよくわかっているので、上手につきあえたらなと思っている。

文章の練習として、映画の原稿を手打ちでうつこと、習作をつくることを思いついた。文学に生きると決めたので、気長に書き続けようと思う。

20歳のわたしへ→大人になりきれない21歳の今、思うことを100挙げる

ADHDの片づけ方ルール→荷受けのルールにならう、こだわりを活かす

鎌倉は行きたい人は多いけど、実際に足を運ぶ人はなかなかいない。それはたいへんだ。カウリスマキ、文化の観念化、フェチのCG化、京極夏彦の「狂骨の夢」、もしオレが~だったらと考える、

朝倉かすみさん

アイディアが一番の財産、メモをたくさんとる、

冬の終わりごろから、毎日メールでやりとりしている音楽の友人がいる。はじめは彼の作りだす音楽に惹かれてフォローして、そのまま彼からDMが送られてきて、そこから文通のようなやりとりがはじまった。お互いの音楽を紹介して、曲作りについてアドバイスをもらい、ブログを書きあうといったやりとりなのだけれど、会わないのに恋をすすめているような心地がする。非常に勝手な感情。相手はきっとわたしのことをなんとも思っていないのだと思うんだけど。

ブログで垣間見える「ちょっと影のある部分」「静かでゆったりとした文化を好んでいる」「博識で文章と音楽を好む」その3点が非常に似ていると感じている。おそらく背が低くてあまりかっこよくもなくて、きっとわたしのタイプとはかけはなれている人だけど、ネットの向こうで勝手に距離を縮めた気分になってもいいかな、と思っている。文学について学ぶには近きプロフェッショナルから学ぼうと、やっと本を読もうと思えるようになった。読み込んでいる星新一と重松清、なじみのある宮沢賢治、刺激を受けた又吉直樹のエッセイとそれにつながって太宰治、芥川龍之介、この数人に絞っていろいろ読んで考えてみようと思う。あと、村上春樹の「職業としての小説家」。これも買ったので読んで学ぶぞ。

 それぞれの書き出しやプロフィールなどを最初に読んでみたのだが、これはとんでもない世界にはいってしまったなと思った。だれにでもはじめられると思った文学の世界、そこには天才の巣窟、プライドのせめぎあい、高尚で静粛な評価、などなど。こんな世界を好きだといってもいいのだろうかと不安になる。けど毎日の継続がきっと力になるし、やりたいとおもったことに飛びつくのはダイジなことだ。

 そしてまた思うこと、それぞれはそれぞれにステキな恋があり、全身で小説を愛し、ひたすらに生きているということ。「たくさん考える人は文章を書きなさい」と言われて書いてみようと決意したのだが、また敷居が高くなってしまった。

 追いつくためには毎年全集を出版できるほどに書き続けなければならない。身をゆさぶるような経験もしくはそれに準じる妄想や勉強を経なければならない。そこはあまり気負わずに長く文章を書くということと、表現や形式はその都度調べようということだけ取り決めた。毎日Blogでつぶやこうと思うのでよろしくお願いします

Kへ

私は今、過去の汚い部分を洗い流しているところで、ちょっとだけ昔話につきあってほしかったので、書いてみました。反応を求めず、もう二度と会わないというつもりで書いています。

春にすこし話したけれど、夏になったら上京しようと思っている。夏に、といったけど、もうすこし先になるかもしれないし、なくなってしまうかもしれないけど、そう思っている。

私のなかで、あなたは初恋の相手のようなくくりになっています。もう今は恋愛感情なんてなくて、苦い思い出というかんじなのだけど、初恋みたいなきらめきがそこにはなぜかある。

恋のはじまりは大学1年の冬。クリスマスごろから毎日おうちに通ってごはんを作ってもらっていたっけ。好きになったきっかけはふたりで昔の演奏やプロのDVDをみていたときでした。いつもは人と距離を置いたりヘラヘラしているあなたが、すっごくキラキラとした目をして、「コイツうまいやろ~」とか「この先生みたいになりたい~」って言っていたのがものすごく印象的で、何だよカワイイところあるじゃん、とか、もっとこういう面が知りたいなとか思ったんだ。思い返せばあんな表情をみたのはその一度きりだった。

だんだんと家に泊まるようになって、お酒を見つけたり、いろんなことを教わってすごくたのしかった。夜一緒のベッドにはいってしまったことは反省しているけど、イケないことというより、私は朝にこっそり編み込みしたり、鼻をつまんだりして遊んでいたことばかり思い返します。

あなたの寛容さと大人びた空気に恋して、ふとにじみでる弱さや寂しさに励まされていました、ないものもたくさん持っていて刺激もうけたし、絶対にわかりあえないと思っていた部分で共鳴したことが何よりうれしかった。

わたしの中では突然の別れで、どうして?という気持ちと、処理できないモヤモヤがずっと渦巻いていた。ほとぼりが冷めるまではだれにも言えずどこにも行けずただひたすらひきこもっていたきがするな。当時はお金もなかったし、自分の脳に疑問を感じていたし、進路も見えなくて、いろんなことが立て込んでいたからなんだけど、けどつらいきもちを共有してはじめて素直に心を開けると思っていた相手からの拒絶はどうしようもなく堪えたな。そのおかげで立ち直ってからいろんなことができるようになって良かった。

あと、夏にももさんと話して知ったこと。春に「進路を恋で決めたのか」と思われていたことは本当につらかった。好意を受け取りつつも見ないふりしてひとりで勝手にふくらませていたことに腹が立って、「ああもう絶対好きになんかならない」「人に理解してもらうことなんか一生こない」と感じた。就活、つらかったんだよな、思い詰めてひきこもるほどだった。そのつらさを勝手に解釈されてすごく腹がたった。音楽も「自分は何をやってきたんだろう」「8年は無駄だったのか」と悩んでいたころだったから、もう最悪だった。

あれからどうですか、お元気にしていますか。辛そうな話はたまに関さんやらももさんやらに聞いてたけど、楽しい思い出はたくさん作れていますか、カワイイ美少女には出会えましたか、おいしいお酒はみつけましたか、新しい暮らしには慣れましたか?

わたしは夢もあって、仕事に自信もついて、ちょっとだけだけど昇進も経験したり、ギターを買ったり、局をつくってみたり、カレシができたこともあったしで、いろんなことがありました。家族とはまだうまくいってないところも秘密にしていることもたくさんあるし、まだ人を警戒してしまう癖は治っていないけど、まあそれはそのうち何とかしていくのだろうと思う。

就職やら恋愛やら家族やらで悩んで動けなかったあの日から、もう二年もたつのだなと思って。

あなたは仕事も勉強もできるし、友人には愛されているし、おんなのこにもそこそこモテるから、これからも愛し愛され生きて行けるのだと思っています。陰ながら応援しています。

ADHDのこと

忘れもしない0329、わたしははじめて精神病院を訪れた。自分がADHDなのではないかとずっと悩んでこまっていたからだ。現実的に部屋をきれいに片づけられないし、やろうとおもった努力もいつも思い通りにいかない。すべてが障害のせいだともって、今回とうとう予約し受診することを決めたのだった。

精神科ではアンケートが配られる。このたぐいの質問は、見ているだけで自分はその症状にあてはまるのではないかと思ってしまう。

カウンセラーさんとの面談、先生との診察を経て、わたしは「ADHDのグレーゾーン」だということだった。うつでもないし、障害ではないという。一番だめなのは「ダメだと思い込むこと」「切羽詰まったときによけいな緊張をしてしまうこと」「向き不向きを理解していないこと」にあるという。フム。なるほど。

処方された「ストラテラ」を飲んでいるのだが、これはいわゆるドーピングのようなもので、飲んだからと言ってだれより早くなにかをできるようになるわけでも、目に見えた効果があるわけでもない。けど、とても良い。何でもできるような気がした。音楽を真剣にやろうと、エッセイや小説を書けるようになりたいと思ったのもこのときであった。

しかし、ストラテラという薬は、飲んだあとに外出すると血の気が引くような心地がする。「これはわたしがふつうの社会で生きていくための代償なのだ」と思うようにしている。

受診して改めて「好きなことや得意なことをやっていこう」と決心するのだが、就職活動がなかなかうまくいかずにこまっている。うん、これからどうやって生きていこう。

過眠症。色気は生活に負ける。感謝されたかっただけなのに、どうしてうまくいかないんだろう。女のひとは苦手ですね。ちがう人種。周りの人間が自分のせいで幸せになれなくなっちゃっている

Togy magy

未来を夢見てあしたを迷走する都木マキのブログ。ひらがなとサブカルチャーが好きです。

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