日記「不調と卒倒」

倒れている人を見た。代官山蔦屋書店に向かう道で。朝、7時45分の遅刻ギリギリのコース、顔が真っ白で、くのじにまがっている身体が横たわっている。デニムを着た男性で、腰が見えていて、普通の人。手で頭をおさえていて、横たわっていた。その手の間から、血が見えていたかいないかは覚えていない。閉じた目と自分の眼が合ったとき、心臓がヒュっと締め上げられるようだった、声をかけるかどうか迷ってしまった。遅刻すると他の人に迷惑がかかるし、他のランナーが摂りすぎていったから。迷惑だろうか?怪しい人だったら?という迷いもあった。考えてそのまま通り過ぎて、そのあと後悔した。あの人は今、どこにいて、何を見ているのだろう。夢を見ているかもしれないし、痛みを見ているかもしれないし、どこか遠くからじっと私を見ていたかもしれない。

午前

7時50分に出勤。今日は部屋でメイクを済ませられた。大畠さんと話す。ネットの説明の対応をすると「親切だねとおもって反省した」とのこと。私利私欲のために、「やさしさ」を使っているような気がするう。ラッピング、封筒で嫌な顔をしてしまって心苦しいし、人が起こる気持ちに共感できず、売り場を遠くから目で見てみると、どこを直せばいいのかわかる。瀬尾さんは落ち着いていて、何をすべきかきちんとわかっていてすごいなあと思う。思考をイメージ化して、そこに目を向けて見る。大畠さん、岩崎さん、石山さん、山脇さん、上村さん、吉川さん。堤さんがイベント倉庫のカギの件で起こっていた。メールでもわーこむの契約解除の件がとどいていた。責任の所在が不明。勉強したらつぎ理解できたのにね。マニュアルも一種のコミュニケ―ション手段として使っているので、非常にわかりにくい。

アイディアは出るけど実行できない。そのアイディアをお金で売れないのだろうか。「常にはたらく」という仕組みから抜けたい。権利を収入にする、を堅実にこないしたい。ブランドやキャラクター、常に「自分がブランドとしてうごいている」という意識。語りすぎず、世界観で商売をすること。世界の視野を持つこと、知的さと、文体と、身のこなしが必要で、あとは生産より「発明」であること、意見よりも「表現」であること、コーネリアスや宮内さん、高木正勝など、自己の世界に身をゆだねてこそ作れる世界がある。ずっと見ていないとどんな面白いことをしでかすが分からない人。観るものは見る。

大きなミスをした。免税のキャンセルをしてしまった。上村さんのミスもまとめて処理をする。わたしはわかっているようにふるまうけれど、そこで「ちがう」といわれてばかりだし、その後ホウレンソウができていなくって困らせてしまった。

困った時に、フロアで頼れる人がいないのも嫌だし、わたしがミスを処理しているのも当然だけど嫌だった。そこで上がった後にちくちくいわれることを想像してしまうし、そのあと電話してくださいの連絡がきたのもいやだった。相談するのが申し訳ないのに、そこで助けてくれる人もいない。「わからない」って言われるだけで、「これは俺に聞くことじゃない」って言われる。全員に。苦しかったんだなあ。わたしは。きちんと相談しようと思う。もっと勉強したいこと、できるようになりたいこと、相談できなくて苦しいこと、じっとストレスなく生きていきたいと思ったこと。いろんなことが上手くいかないので、これからきちんと頭の整理をして、いろいろ考えないといけない。

部活のとき、日誌を書くことでうまくできていた。幻冬舎の仕事も、蔦屋の仕事も、きちんと記録を残していかないといけないなあと思う。アイディアノートをきちんと大きくして、おうちで書けるようにしよう。新しいことをインプットするよりも、今の自分のくらしを見つめなおす勉強をしたほうがいいと思うよ。すごくね。日常の繰り返しと、日々の積み重ねと、想像力の鍛錬で、わたしはつよくなれると思う。外国のアーティストを想像して、メニルモンタンの内向的なアートを思い出して、それさえあれば、昇進しなくたって幸せだから。

将来の夢。自分の研究室を持って、授業をして、外国と日本の学会に行って、闘わずに表現をしたい。アイディアを出して、企業と話し合って、自分の研究に打ち込む。研究者よりも、もっと外の世界に触れる。アートのシンポジウムとか、いろいろ。将来は、作家とアートをしながら、研究をしたい。広告のデザインやライターの仕事は、売り出すためのことばづくりで、芸術とは違うから。嫌だ。雑誌は芸術に近いので、おいておく。広報の仕事もたのしいけれど、はやく研究と芸術で食べたいなあ。

Togy magy

未来を夢見てあしたを迷走する都木マキのブログ。ひらがなとサブカルチャーが好きです。

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