日記12月23日
今日は混乱してしまった。新堀さん、吉川さん、高橋さんと朝に入って、大畠さん。大畠さんはおなかがいたいといっていた。あとは竹内さん。武内さん、山脇さん、石山さん。坂西さんもだ。
今日はキッズでイベントがあり、お昼からは忙しく、バタバタとしていた。武内さん、合唱の上手な子だったんだろうな、声がまっすぐでよく通るから。すごい。けど、とろけるようなうまさもなく、ああ、優等生というか、生徒だったんだという感じである。ちょっと悔しい。こういうとき「わたしもできる!」とダダをこねる自分が嫌いである。
昼休み。少し寝て、少し書いた。『想像』について考えた。想像とは、感覚や概念を視力、聴力を通して認められないときに、作り出す能力である。見えないもの、聞こえないもの、この世に存在しないものを頭のなかで作り出す能力のこと。なるほどね、ないわ。想像は経験に意味をもたせることと、知識に理解を与えるときに有効なもの。学習への補完にもなる。ないわ。トレーニングは、物語から世界を正しく呼び起こすこと。小説をゆっくり読んで、しっかり創造すること。絵本の世界を目を閉じても理解できるようにする練習をすればよいのだろうか。たしかにADHDの人は想像の力を養うだけでうまくいくのではないかなという気がしている。創造と表現はちがう。想像力が足りないと、知らないものどうしを傷つけあってしまう。反射でしゃべるまえに、しっかり頭の中でイメージできるようになりたい。練習と、イメージトレーニングが必要。
想像とは英語でimagination。外国語検索だと、関連にジャンルが出る。imaginationにつながる単語はillusion Empathy magic truth paintである。魔法とアートとイリュージョンの想像力と、エンパシーと真実の想像力は異なっており、わたしは前者が苦手で、後者は得意だ。
想像のイメージとして、デザインあのコンテンツを想像してみてはどうだろう。しっかりと観察し、アイディアを頭の中でつくりこむ力。
帰り道、コンビニで考える。自分の頭に「どんな味?」と聞いてみてもよくわからないし、「大好きなお菓子は?」「梅昆布」「おいしい?」よくわからない。五感の記憶もなく、いつも空想ばかりをしていることがわかった。普段何を考えていて、わたしはどうして頭がよかったんだろう?とよくわからなくなった。恐らく、見えるものを操作することが得意で、覚えることが苦手なのだと思う。頭の中のイメージを持つと、早とちりもなくなるのではないだろうか。大好きなデザインあも、頭では思い浮かばないんだよな。
帰り道、あたまのなかで矢印を書いたり、お風呂では自分のやっていることを頭にのこしたりした。自分の今何をしているか、持っているものをどこに置くべきなのかなど、感覚や行動、やっていることを意識すると集中できる。空想をしないといけないような脅迫観念もあるし、考えずにできるようになるまで練習しているから、自分はうまくできている。話すことも、考えずにできるまで練習すれば、なんでもできる。イメージトレーニングの練習は、積極的にやってみようと思う。これは何?いるの?いらないの?と聞いてみると集中できる。ゲームも、あたまのなかで考えるとうまくいくことがわかった。部屋を片付け、机をつくり、洗濯をして、折り紙とテープ起こしをした。
考えているようで考えていない現象は前頭葉の意識で改善できる。論理立てて説明する力は、書籍の要約でゆっくりとふりかえる。想像力は夢と音楽で補うことができ、発送の補助はこうして日記や文章で補うことができる。はっきりした夢を見て、寝ているのか寝ていないのかわからなくなった。実際はぐっすり寝ていた。トイレに起きたとき、あまりの目の冴え度合に驚いた。生まれて初めての目覚めの良さであった。トイレに立つと、めまいがした。頭の中を奥行でぐるぐると回転しているような心地で、立ち上がるといつもとは違う頭痛がする。
頭の中をイメージするとき、「時間は?」「何色の景色?」というのが良い。浮かんだ絵はかならず言葉にできている。絵にはできていないけど。
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