わたしは思っているより、なにも頭がつかえていないのかもしれない。今、どんな音がする?なにをしている?なにを味わっている?
何かを食べるとき、食べながら「どんな味がする?」と自分に問いかけてみると。実はなにも出てこない。「しょっぱいってなんだ」「甘いってなんだ」「辛いってなんだ」と答えても、中々出てこない。さっきコンビニで、ひとつひとつの味を創造してみたら、、出てこなかった。今も下を向いて文章を書いてみると、いろりおと考えが出てきておもしろい。人が何かを話すときは、自分の言葉は見えていないから、自分のことばを振り返ることもないけれど、、文章を神に書く、パソコンに書く、どちらでもいいが、何かを書いているときは、常に自分の言葉をあとあと観ているのだ。観ていることは、一つの刺激であり、食べることもひとつの刺激である。観ながら書くと、自分の言葉を筋書立てて書くことができるが、相手を観ながら話すときは。自分の言葉を振り返りながらかんがえていっる。創造したことを話している人は、多分あたまのなかで情報を取り入れて考えている。頭の中でで想像できる人だ。
これからすべきことは、自分の頭の中で、何かをじっくり考えること。イメージをすること、味わうことである。ゆっくりやってみよう。障害が治るかもしれない。味がわからず、刺激ばかり求めているから、コンビニじゃないと耐えられないし、集中して食べられないのだと思う。ことばの補完が上手なのは、感覚と運動の神経が発達していて、観たものを修正し続けているからである。刺激の処理がうまいんだろうな。
自分の創造もできなかったことが思い浮かぶのは、おそらく自分が考えていないことがぽんぽんと出てくるからだ。考えたことしか生まれない人は、アイディアを出すことができないと思う。
わたしの思考は誰にも真似できない。自分もついていけてないのだから当たり前だ。高速回転が強みなのだ。
刺激にしか反応できないから、自分は刺激を求めてしまうのか。想像と処理ができないから。
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