Midium まとめ

頭からおしりまで話したい
たとえば恋人になにかじぶんのきもちを伝えたいとする、とりとめなのないはなしからすればいいのだから、あたまの出だしはきっと簡単だ。けどだんだんとはなしているうちにおしりがわからなくなる。「じゃあ、きみはいったいぼくになにをしてほしいんだ?」「えっと・・」となる。と思うとうまく話せなくなる。

たとえば姉御肌の友人にじぶんのきもちをわかってもらいたいとする。彼女はきっとわたしになにかアドバイスをしてくるだろう。けど自分のきもちをわかってもらいたいわたしは「でも…でも…」とでもでも星人になってしまう。反論したいわけではないし、アドバイスもうれしいはずなのに、結局わかってほしいきもちと友人に嫌な顔をされたくないきもちがごっちゃまぜになって、自分がなにをいいたいのかわからなくなってしまう。

たとえば上司になにか意見をつたえたいとする。自分にはやりとげたい、変えたいという強い気持ちがあって、それを伝えたいとする。終わりのことばはわかっている。こうしたいと伝えたいという気持ちはわかっている。じゃあきみはなにから切り出してあいまになにをはなす?


ブログについて

最近文章力をつけるにはどうしたらよいのか、という本を読んでみている。そこには「偉人たちは文章力向上のために毎日日記をつけていた」とある。たしかにみんな毎日ブログを書いてるなあ、と思ったので、先人にならってわたしも毎日Blogを更新しようと思う。三日坊主になるのがいつものことなんだけど、ブログと音楽だけはずっと続けたいなとおもう。このふたつはずっとダイジにしてきたし、これからもずっとだいじにしていきたいと思っている。映画も読書も絵もすきだけど自分が行動するにはかなりのエネルギーがひつようだし、料理はいつになっても自活へとつながる気配がない。もう気分次第でいいよ。ってことにする。

「文章力」というのは、論理的なわかりやすい文章を書くこと、人のきもちをくみ取った文章を書くこと、であるとみているが、ここではなにもきにせずただひたすら自分がしゃべるかのように書いていこうと思った。文字をたくさんたくさん打ち込んで、いつかネタ帳として財産になっていけばいいと思う。悩み苦しむ若いうちに、いろんなものをのこして宝物dにできたらいいなとおもっている。ブログもそのひとつになればいい。

TOGY&MAGY

わたしはなにかをするにあたって苗字と名前が必要になったとき、トギマキと名乗ることに決めている。ちなみに本名はぜんぜん違う。

普段、こうやって特定の名前を使うなどといった行動は極端に避けてしまう質である。まだすこし恥ずかしいところがあるが、今日はこの名前の由来のはなしをします。

マキというのは私の両親がつけた「わたしの名前第二候補」だ。

わたしは双子の姉妹の姉である。生まれた娘の名前に双子らしさを求めた母は、姉を「マキ」妹を「ミキ」にして「ミキマキちゃん」って呼ぶのはどうか、と思いついたのだという。

自分の今の名前よりもマキちゃんと呼ばれたかったなと思っていたので、そこからマキという名前をわたし第二号として呼ぶようになったのである。

マキという名前から連想すること、マキマキ、イトマキ、トギマギ。この連想でトギという苗字をつけた。

安直な理由だと我ながらおもうが、ほんとうのわたしもいつも緊張しいでトギマギしていて、落ち着きがない。

そして尊敬するクラムボンの曲に「ドギー&マギー」というタイトルのものがある。歌詞には「ドギーマギーしちゃうお年頃なんです。ドギーマギーのくせにがんばっています…強くなれたらってそれだけなんです」とある。まさにわたしの気持ちそのものだ。

クラムボンの曲は名付けてから知ったのだが、そこから自分の第二の名前に愛着がわくようになったのだった。

わたしの尊敬するバンド、JUDYANDMARYの名前、ジュディ&マリーは「明るくポジティブなジュディ」と「引っ込み思案でネガティブなマリー」の対照的な女の子の二面性を備えた名前をバンド名としたという。

わたしもトギーとマギーは光と影をどちらももったものにしようと思った。どっちがトギーでどっちがマギーなのかはまだきめていないけど、うまいことこじつけていい名前にしようと思っている。

Togy magy

未来を夢見てあしたを迷走する都木マキのブログ。ひらがなとサブカルチャーが好きです。

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